大西つねき発言の擁護者のレベルが低いのには辟易させられます。様々な議論があったとき、普通は、同じ立場の人達の中にもいろんなレベルのの人がいておかしくないものですが、今回は様子が違います。どうしようもない議論ばかりなのは、Yさんのおっしゃるとおりですね。
つねき発言擁護論の中身、あれは死生観を述べたものだとか、障害者差別なんかじゃないのだからそれを理由に糾弾するのはおかしいとか(呆れたことに大西つねき本人までがそういう言い訳をしていましたね)、あれこれ理屈になっていない理屈のオンパレードでした。
ツイッターやYoutube動画をいくつかチェックしていて、途中で気がつきました。
大西つねき擁護論のその文面は、Yさんのご指摘のように、さすがに「高齢者は逝ってほしい」という文字通りの主張を肯定はしていないのですが、実のところは、擁護者自身の考え方は、体裁をつくろった擁護論の言葉ではなくて、オリジナルの大西発言そのままの方がむしろ体現している。そういう事情がだからこその擁護だということです。
たとえばなんとかいう御仁は動画の中で、知事候補としての宇都宮健児氏について「73歳のおじいさんになんか全然興味はない」なんてシラーッと言っていました。他にも、年金制度は「選別」ではないのか、とかとかと主張される御仁もいました。でも、制度のあり方に対してその設計者をさておいて、高齢者ばかりを責めるべきものでしょうか。
無理な解釈ではなく、世代間対立の契機が確かにありますね。山本太郎の方では、宇都宮さんより10歳も年上の亀井静香にれいわ新選組への加入を頼みにいったわけなんですけど。
私はバカみたいに自分のエネルギーを無駄使いして、長文のブログ記事を書いたりしましたが、本来はつねき擁護者なんか、放置しておくのが一番だろうと思い始めています。
いや、このトラックバック先の記事を書いている方に対して申し上げてはいけないことでしたでしょうか。
実は、タチが悪いのは大西氏支持者だけではないようです。
大西つねき除籍を正当だと考える人達の中にも、凝り固まっているのが少なくないと私は感じています。ひたすら盲目的に現・れいわ新選組を支持していればいいと思い込んでとしか思えません。
で、もともとの本題に入りますと、こういう思いこみ組には、組織改革の必要性を理解しようとしない人達が多数いますね。
野原義正さんが離党すると言い出しました。それ自体は歓迎すべきことながら、その周辺に湧き起こる雑音に、私はどうにもやりきれない思いばかりなのです。
はっきり言って、野原氏の行動は幼稚としか言えません。改めて事務局長と話し合いを持つと言っていたので、てっきり直接会うのだとばかり思っていたら、実際は電話で話しただけでした。それはないでしょう。難しい話は膝をつき合わせてするものです。
いまのネット社会の悪弊がもろ出てしまった面があるようです。野原さんが、質の悪い「支持者」に取り込まれているのは間違いないでしょう。話し合いの様子をネットで公開しろなんて荒唐無稽な要求は、吹き込まれたものであろうと私は思います。
素姓の知れない有象無象の多数を参加させようとするのは、建設的な結論を模索することなどではなく、ただその場を無意味に紛糾させて「ほら、れいわってこんなヒドイんだよ」というメッセージを広めたいだけだろうと当然に推測されるのです。
野原さんは、これまでたぶんインターネットなどには全く縁がなかったのではないでしょうか。それが変なのに利用されて、自分は「支持者の声に推されて党の改革に立ち上がるのだ」とでも思うようになったのか。ネット・リテラシーといったものが今後は不可欠になりますね。
Yさんの、たぶん敢えての「挑発」に横から口を出すなら、山本太郎は野原さんを利用しようとしたのでしょう。「創価学会の改革」なんてれいわ新選組の主要課題にはならないと私は思います。その時点では(10人の頭数を揃える必要がありましたし)まったくナンセンスな選択ではなかったのかも知れません。ある意味では、野原氏に関しては、山本太郎の行動は軽薄だったと総括してしまってもいいのではないでしょうか。間違いは誰にでもあること、必要以上に文句をたれるのはいけませんが、ムリにも辻褄をあわせようとして、それをさらに引き摺り続けるのはダメでしょう。
ちょっと話がそれるかもしれませんが、安保法制やらなにやら(横浜ではカジノ阻止に関しても)何かあると「その問題に関する限りは、婦人部が黙っていないだろう」などと希望的な観測をたれる「評論家」等がいますが、結果として常にそうはなっていません。上から言われたことを――自分の頭をつかうこともなく――盲目的に受け入れるしか能がないのが、創価学会の大部分だと思い知る必要があると私は思っています。
だいたい野原さんの主張は「池田先生の示した原点に戻れ」ですよ。池田大作なんてタチの悪い詐欺師ではありませんか。国政の課題になどなりようがないのではないでしょうか。
組織の運営について、あれこれ情報が出始めています。善意から出たものに限らないようですが、この際、隠しているよりは明らかにしてしてしまった方がいいのではないかと私は思います。
何もかもさらけ出す必要はないという意見もあるかも知れませんが、とにかく、ウソだけはダメです。出てしまったからには仕方ない、まあヤケクソでも勢いでもなんでもいい、出来るだけ正確なところを支持者に伝えた方がいいと私は考えます。
ちなみに、東京都知事選挙への出馬についても、忌憚も遠慮もなく、その総括をみんなが一堂に会して行うことが必要でしょう。政治活動を行う集団である以上は、振りかえりは不可避・不可欠の筈です。
出馬が完全な間違いだったかどうかは分かりません。しかし、結果が出る以前から(さらに出馬以前からさえ)様々な疑問が投げかけられていました。そして、出馬という判断への支持もなくはなかったものの、全体としてそれに反対する意見の方に分があったと私には思えます。仮りにれいわ新選組からの出馬があるとしても、誰か他の人を立てるならともかく、党代表本人が出てしまったら、これまでの活動の意味が問われることになりますから。
山本太郎の判断が常に正しいなどということにしては、絶対にまずいと思います。党の組織改革と同時に「都知事選の総括」も全員の参加のもとなされる必要があるでしょう。
突然ですが、以下の記事は、既にお読みでしょうか。
私は今日になって初めて読みました。
「痛み」と「苦しみ」だけが放つ光
https://auroro.exblog.jp/240481895/
山口泉氏のブログ「山口泉 精神の戒厳令下に」に掲載されています。
これは、大西つねき批判として、最も的確であり、また最も痛烈な文章であると思います。ただ、その怒りがあまりにも激しすぎるように感じられて、脳卒中かなんかで倒れてしまわれないか、それを心配した私でした。
おそらく山口さんは、このくらいの怒りはウン十年にわたって燃やし続けている猛者で、現在まで生存されているからには、怒りの体調への影響については充分なコントロールが出来ている方なのかもしれません。