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大西つねき氏の「除籍」について――補足

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 ながながと書きましたが、一つ触れていない論点がありました。

 大西つねき擁護論の一つに「失敗しても何度でもやり直しがきく社会」を求めている党なのに、一方で一発除籍の処分をするのはおかしい、というのがありました。
 これは二つの理由から、成立し得ない議論だと私は思います。

 まず、擁護論の趣旨では大西つねき氏は間違った発言などしていないことになっています。正しいことを言ったのに、そちらが勝手に間違った解釈をしただけだ、という主張です。
 そう思っているのなら、あくまでも発言の趣旨を正しく受け取ることを要求するべきであって、間違っていても赦せと要求するのはおかしいですね。

 第二に、やり直しというのは、同じ間違いを繰り返すことではありません。
 大西発言に沿って言うなら、その発言に間違いがあったと認めたところからの再出発でなければ「やり直し」にはならない。ところが、大西氏はれいわ新選組のプラットフォームを利用し続けるために形だけの謝罪をしたあとに、それが実現しないと見るや、その謝罪を撤回してしまいました。
 
 大西つねき支持者が「守ろう」なんて言い出した時点では、大西氏は自分はまったく間違ったことを言っていないと言い張っていたわけで、それを認めることが「やり直しのきく」党運営であるかのように曲解するのは、まったくデタラメというしかありません。

 いや、党が除籍を突きつけてきたから、謝罪を撤回したのだと反論されるでしょうか。総会で票決するに先立って行われた、所謂レクチャーの席で、大西氏が自説を強調するばかりであったという複数の証言があります。

 大西つねき氏の支持者の方々は、どうやら基本的に彼の実際を捉えそこなっている、その口先三寸に惑わされてしまっているのではないでしょうか。
 7月17日の記者会見の最終部分で、天皇制や米国占領軍の日本支配についての主張を大西氏がし始めたとき私は大きな違和感を感じさせられました。
 山口泉氏がその発言部分に対してブログで完膚なきまでに批判し尽しているのを極く最近になって私は知りました。

「痛み」と「苦しみ」だけが放つ光
https://auroro.exblog.jp/240481895/

 まったく、的確かつ痛烈な文章で、もう少し早くその存在を知っていたら、山口泉氏の記事へのリンクを張るだけで充分だとして、私自身が長い文章を書くことはなかったろうと思わされた次第です。 

 大西氏としては、「私はこんなことも考えている、あんなことも考えている人間なんだ」という印象付けをしたかったのだろうと私は思います。
 大西発言は、一見いかにももっともな主張ではありますが、あの場でそれを言うということ自体が、その本質を示していると言わなくてはならないと思います。
 そうした部分は、山口氏のような受けとめ方こそがふさわしいのですが、大西つねき信者と言うしかない一定の支持者は、深い思想家なんだと勘違いしてしまうのでしょう。そういう判断が正確に出来るような、ある種のリテラシーがここでも求められていると言えます。

 おそらく、国民の多くが「大西つねきWho?」といったところなのが事実だと思います。政治に多少の関心がある人達でさえ同じくではないでしょうか。
 大西つねき氏除籍の問題は、どうやらコップの中の嵐に過ぎない些末なことのようです。

 これ以上書くのは、もはや無意味で、私にとっても、もう徒労でしかないでしょう。このへんで、大西問題への言及はお終いにしたいと思います。


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