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北方領土問題の現在

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 コメントいただきありがとうございます。
 なかなか書く時間がとれなくて、反応がたいへん遅くなって申し訳ありません。

 

 

 深沢さんとの「論争」ですが、私はあの方と知恵比べをする意図など最初からまったくありませんでした。私の関心は完全に政治的なものであり、現実に日本で行われている政治に対する怒りこそが常に念頭にありました。
 過去の経緯を少々詳しくたどってみたのも、あくまでも現在を理解するためであり、私が論じた「四島返還論」も、現実に存在する返還運動の根柢にあるものと捉えたからこその批判対象でした。

 

 

 言葉の上で何と言おうと、結局のところ時の流れが真実を洗い出すと思います。
 現在の「返還運動」のテイタラクを見れば、私の主張が正しかったことが事実として証明されているのではないかと今は思っています。
 ニュース報道では、こんな記事がありました。

 

 

「不法占拠」封印 対露交渉の進展優先 北方領土・大会アピール
 毎日新聞2019年2月7日 20時55分
https://mainichi.jp/articles/20190207/k00/00m/010/271000c
7日の北方領土返還要求全国大会(政府や民間団体など主催)で採択した大会アピールは、昨年までの「北方四島の返還実現を目指し行動を推し進める」との文言が「北方領土問題の解決を目指し行動を推し進める」に置き換わった。「不法占拠」との言葉もなかった。交渉相手のロシアへの刺激を避けると同時に、「2島返還プラスアルファ(+α)」での決着を探る政府の姿勢をにじませたものだ。しかし、強硬姿勢のロシアとの交渉の先行きは見通せていない。【光田宗義、本間浩昭、古川宗】
 この大会用に安倍晋三がどんな言葉を用意したのか私は存じません。それを調べる気などゼロです。
 しかし、政権がこれまでの「四島返還」から「二島返還」に舵を切り換えたことを、大会関係者が承知していないはずがないのに、政府の方針変更に対してなんの異議申し立てもなされなかったのです。これは、まったく奇妙奇天烈というしかありません。
 別のニュースではタスキをかけて、腕を上げている人達の写真が載っていました。私はたすぎ掛けの人達に聞いてみたいと思いましたね、あなた方はいったい何を目標にしているのですか、と。

 

 

 北方領土返還を求める運動は、本質的に「帰島」を実現しようとする運動である筈です。自分や自分の親族がかつて住んでいた島に戻りたいという――ごく自然な――願いがその根柢にあり、直接の関係者以外の人達は、そうした目的の実現を支援しているのだと考えられます。
 しかし、それは「そのはず」「そうあるべき」の話なのです。「四島返還」を目標に掲げた運動は、最初から目標の実現などあり得ないことを前提にした運動でした。実現し得ないことを承知で継続している運動は、運動すること自体を目的にした運動でしかなく、言い換えると「目的」なんかどうでもよい運動なのです。

 

 

 これまでは択捉・国後を含む四島居住者の帰島が(名目的な)目的として掲げられていたのに、歯舞・色丹以外の人達の帰島についてはロシアに求めないことになったのが現在です。そんな重大な変更があったのに、これまでと何のかわりもなく、タスキ掛けをして大会を開いている人達がいるのです。
 「四島返還」から「二島返還」に切り換えた政府に対して、なぜ抗議の声がいっさい出てこないのか。
 最初から掛け声だけの運動、やってる振りだけの運動だったから、という以外には説明がつけられないと私は思います。もし違うというのなら、是非とも言い分を聞いてみたいものです。

 

 

 しかも、択捉・国後の二島の方が圧倒的に面積が広く、終戦当時の住民は、歯舞・色丹島に比べて二倍以上いらしたのですね。住民が多数いた島の方を、今後問題にしない、などということが如何にしてあり得るのか。

 

 

 ちなみに、かの深沢さんは私に対してこんなことを書いていました。

 

 

しかし、そもそも中立条約を破って不当に参戦し、捕虜を長期にわたって抑留し強制労
働で死亡させ、あげくの果てに択捉・国後すら返さない、そんな国と、仮に平和条約を
結んだとしても、どうやって友好関係を築くことができるのでしょうか。
しかし、これらに対するオコジョさんの返答はありません。
なるほど、「思考経済の法則」とやらに精通すると、このように自分の立論に不要な要
素はカットしてそのままで平気でいられるようになるようですね。
   再び北方領土問題を考える(上) 問題の核心
   https://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/0d7c9d88e23306c70f0992fe6fb7f4cb
 私は、いわば「武士の情」で上の部分についての言及は控えたのですが、鬼の首でも取ったようにかき立てています。
 一読すれば分かるように、上の言い分は現在の「嫌韓・嫌中」そのものです。
 私は、人間観の低劣・未熟さを指摘するに忍びず、無視したのでしたが、お分かりにならなかったようです。

 

 

 私自身は、日本人と比較してロシア人が取り立てて残虐非道な民族だとは思っていません。ホモサピエンスの中で、特に高潔な民族もなければ、特に劣悪な民族もないというのが私の人間観です。
 もちろん、これは明確な根拠があっての信念ではありません。太陽が明日も昇るはずだということを、疑いの余地なく説明できる能力などないのに、そうと信じて疑わないでいるのとほぼ同程度に根拠不明確な信念に過ぎません。
 しかし、世界史についての多少の知識と、これまで蓄積されてきた情報に照らして、だいたいそう考えて間違いはないだろうとは思っているわけです。

 

 

 世界の文学者のうちで私が一番好きなのは、アントン・チェーホフです。また、フョードル・ドストエフスキイも二番目くらいに好きでしょうか。これまで、ゴーゴリやプーシキンやツルゲーネフ、レールモントフなどの作家にも親しんできましたし、またチャイコフスキーやラフマニノフ、スクリャービンの音楽も愛好しています。ロシア国民も我々日本人と変わらない人類の一員であることにどうして疑いを持てるでしょうか。
 太陽が明日も昇るだろうというのと同じような程度に、私はロシア人の人間性を信じています。

 

 

 敢えて言ってしまうと、そういう素養(!)がない人達にとっては、第二次世界大戦におけるソ連の蛮行ばかりが気になるのかもしれません。しかし、シベリアのラーゲリは同じソ連の国民にとってもいまわしいものでありましたし、その悪は国民性というより全体主義のイデオロギーに由来すると考えるのが妥当だと私は思います。

 

 

 戦争における残虐さは――別に“おあいこ”にしようという意図などありませんが――国を問わず、どこにも例外はないと考えています。米国にしても、日本のB級・C級戦犯を裁いたりしていますが、自分たち自身が同じコトをしています。米国兵が、日本人捕虜を虐待・虐殺していた事実については、あのリンドバーグも本を書いているのです。

 

 

 よく、ソ連はけしからん、泥棒国家だというようなことを言う人がいます。それがまったく当たっていないとは思いません。でも、日本だけは清廉潔白高潔な国なのでしょうか。ソ連・ロシアとの関係に限っても、あのシベリヤ出兵はどうだったのか、と思うわけです。あれは火事場泥棒そのものであり、それに失敗してさんざんな目に合わされてしまったのが日本ではありませんか。一方的にソ連の非をあげつらうことなどできないと私は思います。

 

 

 実際に家族が満洲でロシア兵に殺されたというような人達が、いつまでもロシアに敵意を抱くことを私は否定しません。恨みに思っても仕方がないと思います。
 しかし、未来をも見すえて、これからの日本の外交を考えるとき、そこにばかりこだわる、その視点にばかり固執するのは間違いでしょう。
 例えばドイツの領土を考えたらどうでしょうか。北方領土どころではありません。かつてのドイツ領は第二次大戦後、ごっそりけずりとられてしまいました。ドイツは、そのことに(心の奥底は分かりません)いつまでもこだわり続けているでしょうか。
 事実は事実としても、いつまでもこだわっていてもなんのプラスもないのです。不幸な過去を乗り越えていくことこそが大切なのではないか。
 シベリヤ抑留をしたような相手とでも、これから先ポジティブに付き合っていかなければならないという現実をしっかりと受けとめる必要があると私は考えています。

 

 

 もう一度ソ連に戻れば、第二次大戦で、ソ連は兵士と民間人を合わせて最低2060万人の犠牲者を出しています(最近の研究では2660万人)。日本は軍・民合わせて310万、米国などは民間人の犠牲はゼロ、兵士が40万人です。ソ連と死闘を演じたドイツが689万人、早々とドイツに負けたフランスなどは60万人が犠牲者です。

 

 

 米軍がいつまでも日本で不当な占領を継続していることを、彼らは日本との戦争で自分たちが多大な犠牲を払ったことを理由として正当化しています。
 ソ連と比較して66分の1以下の犠牲者数なのです。そんな数で、日本国中に基地を作り、いつでも好きな時に作る権利を持ち、本国では絶対に不可能な低空飛行訓練を行い、首都上空とその周辺の広大な空域を占領し続けている。
 日本人にロシアに対する敵意を抱き続きさせることで、そうした現実から目をそらさせようとしている政治がある――それを私は問題にしたのです。

 

 

 私にとっての北方領土問題とは、以前も今もそういう位置づけにあることをもう一度確認したいと思う次第です。

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