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大西つねき氏の「除籍」――れいわ新選組への攻撃を排する(3) 大西つねき氏の「除籍」――れいわ新選組への攻撃を排する(3) 大西つねき氏の「除籍」――れいわ新選組への攻撃を排する(3)

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 山本太郎氏が、総会の時、除籍の決定を下さなければならないことに号泣したと三井よしふみさんが(自ら定期的に発信している動画の中で)証言しています。たぶん、それまで一緒にやってきた仲間を外さなければならないのを悲しんだのだろうと推測します。
 ただ、れいわ新選組にとって大いに価値ある人材の喪失を嘆いたのかどうかは、私は判断を保留したいと思います。大西氏の知見を知らずに言っているわけではありません。大西氏の支持者がツイートで出していたアンケートに答えるならば、『私が総理大臣ならこうする』を私が読んだのは去年の7月5日。彼が主催したミーティングに参加してもいますし、いくつかの動画を視聴してもいるものとしての判断です。

 大西氏は、講演などで自分の言うことが既に世界的な潮流になりつつあるというような言い方をします。聞いている者になんとはなしに明るい未来を期待させ、多幸感を与えるような話をするのです。今回の除籍処分についての支持者の反応にはカルトの信者ぽいところが見られますが、そのことに大西氏自身の日頃の言葉が関わっていると考えるのが妥当だと思われます。
 氏の主張にまったく正当性がないとは言いません。しかし、自身が描く理想に聴き手の人達を連れて行けるだけの実践の力があるかどうかということになると、私はかなり疑問を持ちます。

 大西氏は、政治家としての状況判断、実践の感覚にはかなり欠けているものがあるのではないかと思います。
 私は、大西氏がカジノ阻止にどんな風に関わったかを、少なくとも7月17日の会見で質問した記者よりは知っています(彼のは単にネットでググッただけに過ぎないのが見え見えで、プロとして情けない限りでした)。

 大西氏が主催したあざみ野の会議に私は2回とも出席しましたが、彼は民主主義を分かっていないと思ったのがその結論でした。何百人も集まった場で、「みんなで考えよう」というようなことが実行できる筈がないことを理解していないのです。その無理に由来する会議の紛糾を呼びかけ側の責任とは受けとめられず、参加者のせいにしていたのはお粗末極まりません。リーダーとしてもコーディネイターとしても失格です。
 また、大西氏は、言い出しっぺでありながら、カジノ阻止についての運動を途中で放り出してその後なんにもしていません。その途中退場についての説明も一切していない。これは普通に考えてもあってはならないことでしょう。政治家として無責任そのものだと――彼がリーダーシップを取るなら出来る限り自分も貢献しようと思っていた私です――言わざるを得ません。

 また、山本さんの都知事選出馬について、大西氏は積極的に勧めていたと見られます。権力を取れる機会があるのだから、それを取りにいかない理由はないとなどと言っており、山本さんにその意志がなかったわけはないでしょうが、大西氏はかなり積極的に出馬を「けしかけた」とは言ってもいいでしょう。
 宇都宮氏の野党候補としての出馬が決定したあとでの山本氏の出馬表明はどう考えても無理筋でした。宇都宮氏の票ではなく小池票を減らすことを目指しているのだと言っていましたが、それが単なる自分達の側の主観的な願望に過ぎず、選挙民にどのように受け取られるかという視点をしっかり持ってはいなかったのです。
 まあ、この辺についてはいろいろな意見がありうるかもしれません。でも、私は出馬はいい判断ではなかったと考えます。そして、出馬を進めていた大西氏の政治センスを疑います。

 そして、今回の騒動です。大西氏は、自身が党にどれだけ迷惑をかけたかということを少しも分かっていないようです。記者会見で山本氏に対する批判がましいことを一切口にしなかったといって、それを潔い態度などと評価する人達がいますが、全然見当違いではないかと私は思います。
 結局のところ彼が主張したのは、自分は不当にも除籍という処分を受けたということでした。優生思想ではないとか、障害者については何も言わなかった等々の言い訳は、それを理由にした除籍は不当であったという以外の意味を持たないにきまっています。こんな当たり前のことが見えない「評論家」たちの短見には呆れてしまいます。

 私がここで明確にしておきたいことの一つは、彼の選別発言が考え抜かれたすえの発言などではないということです。
 大西氏のいのちの選別発言は、思いつきで言っただけの浅薄な言葉に過ぎないと私は考えます。介護や医療の現状を考えつくした結果出てきた結論などではない。まともに受けとめて議論をしようとしてもあまり意味がありません。というのは、肝心な論点になると大西氏は言葉を濁して答えないからです。これは公的な場に限った話ではなく、大西氏が言葉を濁して他者への応答を回避することについて三井ようふみ氏も不満を述べていた事実があります。

 記者会見の場で、大西氏は何度も絶句していましたが、その多くが「それについてはまだよく考えていない」がためのものでした。
 繰り返しになりますが「高齢の方から逝ってもらうしかない」と発言した大西氏は、記者からの質問(50代の人と80代の人との選別)に対して何も答えられませんでした。
 結局のところ、威勢のよかった動画発言とはうって変わって、最終的に大西氏に言えたのは「いのちの選別について、我々は真剣に考える必要がある」などという報道番組のクリシェのような言葉に留まってしまいました。考える必要があるその問題について自ら考え、その結果を発表するのでなかったら、内容のない発言にしかならないではありませんか。(続く)


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