名称を変えたらしいけど、どうでもいいや。以前も今も、何にも変わってはいないんだから。
もう、理屈がどうこういう前に、ぼくは不思議でならない。
こいつら、生きているのが恥ずかしくないのだろうか、って。
これだけウソをついてばかりで、ちっとやそっとのカネがフトコロに入ってきたって、それで嬉しいはずなんかないと思うんだけど、同じ人間だと考えちゃいけないのかな。
西田某なんて、見方によっちゃ、恥ずかしさが内攻したあと反転して、顔の真ん中から噴火したというような顔をしているのかも。
こいつら、よくもまあミエミエの猿芝居を続けているものだよ。
前回“ねずみとり”の警官のことを書いたけど、罪の文化じゃなくてどうこうと言われた日本で(この文化論自体は笑っちゃう)今は“恥”なんて言葉は死語になってしまったのだろうか。ほんとに、こんな国を“誇りに思う”なんて、とっても考えられない。
民主主義の世の中なんだろうが。政策を争うのが政党なんじゃないのか?
もしおめえらの猿芝居が本気だというのなら、なんで自分たちと考えの違う総裁をいつまで立てておこうというんだよ。“お諫めする”以外に手のない“馬鹿殿様”相手じゃあるまいし。早いところ罷免してしまえばいいだろう。何をやってるんだか。
総裁は「多数決」で決められるんじゃないのか? 議連の嘘つき諸君は、充分多数派であるはずなんだけど――それで、そのウソが通用すると思ってるのか。
ここは、飛鳥ラングレーに登場ねがって、得意の一発をこの嘘つきどもに、かましてやる以外にないだろう。
それにしてもだ。
果して騙されるのがいるのかどうか。
それが問題だ――と小村さんが言ってたっけ。
当たり前のことを当たり前に考えさえすれば、間違えっこないはずなんだけどな。
でも、考えないやつが多いからねー、創価学会のみなさん。
「今でも“公称”一千万世帯なんだっけ?」の思考停止人間が、何百万の単位でいる、っていうのは、実におそろしいことではある、と今さらながらに溜め息つくのでした。
子供や孫の心配をしなくていいの?
「無責任」な「思考停止」の大人たちよ。