ジョン・マネーの話の続きである。
今回は、彼の学説についてもう少し詳しく書いていくことにする。(とりあえず、断りがあるまで、これ以降は私自身の考えではなく、マネーの主張を辿っていることを念頭において読んでもらいたい)
今日でいうトランス・セクシュアルやインター・セクシュアルの研究をしていたマネーは、生物学的には男(女)である患者が自らを女(男)であると認識している事実を発見してショックを受ける。それまでの性別の概念をどうあてはめたらいいのか。単純に生物学的な観点から割り切ってしまえば簡単だが、そうすると目の前にある事実をしっかりと把握できなくなる。
生物学的な事実に基づいてはいないとしても、患者が自ら認識している性別は、決して恣意的なものではない。そして、その性別は第三者が見ても「男」であり「女」であると思えるような種類のものだ。
確かに、他者を男や女であると認識するとき、いちいち生殖器を確認するわけではないし、性染色体のあり方を知った上で判断しているわけでもない。しかし、だからと言っていい加減な恣意的な区別でもないし、おおむね社会的にも共有されている区別である。
特に意識されていなかったが、それまでに行われていた区別は、実状としては社会的なものであったのだ。そして、上記トランス・セクシュアルの人たちが自らを認識しているのも、その社会的な区別によってである。
そこで、これまで一通りにしか考えられてこなかった男女概念を、生物学的な面、心理的な面の二つに分けて考えることにする。前者を sex 後者を gender と名づけることによって、それまでの男女概念を広げたのが、現在理解されている「ジェンダー/セックス」だという訳だ。ジョン・マネーが言い出しっぺだと考えていい。
自らを男や女だと思うことを〈性自認〉と呼ぶ。性自認は生物学的な性とは必ずしも一致しない。性自認の内容になっている性別をジェンダーと呼ぶ。本人にとっての区別だという意味でその性別は「心理学的」なものであり、またその性別の内容を言うなら「社会的・文化的な性」であることになる。
そして、マネーにとって重要だったのは、その心理学的な性別は文化的なものであって生物学的なものではないにもかかわらず、恣意的でもなければ変更可能でもないということであった。この文化的な性別が確定し、以後は変更不能になる臨界期をマネーは生後18カ月程度だと判断するに至る。
問題は、この文化的な性別が“如何にして”決定するかである。根拠が生物学的な事実にあるのなら、ことは簡単である。発生から成長までの過程に関わる生物学的なメカニズムが決定すると考えれば、何の問題もない。
しかし、目の前にある事実として、生物学的な性別とは反対の性別を自己認識する患者がいるわけだ。本人が認識している、自身の性別は、たぶん生育歴によるものだろうとマネーは推測する。そして、言語の習得と同じように臨界期というものがあり、一旦成立した性別はその後は変更不可能になると考えるに至ったわけだ。
マネーがジェンダーに言及し始めた一九五〇年代には、既に脳の性別という考え方は存在していたはずなのだが、そちらの方へ考えを進めることを彼はしなかった。
乳児は、実際には非常に高い能力を持っているとマネーは考える。自分に対する大人の接し方をとおして、短期間で乳児はジェンダーのあり方を学習する。結果として、臨界期までに自らを男や女と把握するに至る――というのがマネーの唱えた性自認決定までの道筋である。
と、ここまではマネー説の紹介。
マネーへの反駁は容易だ。
彼の主張とは逆に、トランス・セクシュアルの存在自体が、ジェンダーが生育歴によって決定されるという考え方を否定している。
そもそも性同一性障害とは何かと言うと現在では次のような定義になっている。
「『出生時に割り当てられた性別とは異なる性の自己意識(Gender identity、性同一性)を持つために、自らの身体的性別に持続的な違和感を持ち、自己意識に一致する性別を求め、時には身体的性別を己れの性別の自己意識に近づけるために医療を望むことさえある状態』をいう医学的な疾患名。」(wikipediaより)
通常「出生時に割り当てられた性別」に基づいて人は育てられるものだから、「生育」の仕方が決定因であるなら、長じてその性別に「違和感」を持つということはあり得ない筈ではないか。
現在では、人間における性別の由来はおよそ次のように考えられている。科学の話だから、100%そうであると断定は出来ないが、多数意見であり、有効な反論は今のところなされていない。
受精した卵子が母胎の中で育っていく過程では、原型は女性である。何も特別な作用が働かないかぎり、人は女性になっていく。男性の場合、遺伝子の働きでまず性腺が出来ていく。この性腺から、おびただしい量の男性ホルモン(アンドロゲン)が放出され、その作用によって身体が男性化していく。
たとえば、Y染色体を持った胎児が将来の男性になるわけだが、仮りに男性ホルモンが放出されても、それを受容する働きが形成されていないと、ホルモンを浴びてもそれに応じて身体を男性化する働きが出てこない。XとYの染色体を持った(遺伝子上は)男性である胎児が、男性化しないまま出産されることになる。当然、卵巣も子宮も持っていないので、受胎して子どもを産むことができない女性に育っていく。
マネーが主張したように出産後に男女になるのではなくて、生まれたときには既にどちらかに決定している。その結果、上記のような「性同一性障害」になったりするのだ。
この「男性化」の過程を二段階に分けて考えることができる。
身体の男性化と、脳の男性化だ。
ホルモンが作用する際の何らかの不具合や、男性ホルモン自体の過不足で、脳が男性化したにもかかわらず、身体の方の男性化ができなかったり、その逆に身体だけ男性化する一方で、脳が女性のままであったりするケースが生じる。
以上のように、ホルモンによって脳や身体の性別が決定するという考え方は「ホルモン・シャワー説」と言われている。
これは、フェミニズムの用語を借りれば「生物学的決定論」の一つである。インター・セックスの研究に基づいて(そう本人は理解したわけだが)築き上げ、所謂「双子の症例」によって明確に証明された(と本人は思った)、ジョン・マネーによる「生育歴決定論」は、虎の子の根拠を失って無効を宣告されたのである。