Quantcast
Channel: オコジョのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53

神の沈黙について

$
0
0

 人類発祥以後の原初的な宗教は多神教である。落雷があればそこに雷の神を想定し、川の氾濫があれば川の神を、津波があれば海の神を考えたのは、ごく自然のことだろう。
 雷がどのようにして生じ、どのようにして落雷するのか、そのメカニズムを原初の人類は理解していなかったが、人間の力を遙かに凌駕する力がそこに現前したこと自体は間違いのない事実だった。

 そうした現象を契機に、大昔の無知な人類が「」という概念に思い至ったのだが、無知はそれ自体としては別に非合理的でも非論理的でもない。
 例えば雷という現象を目撃して、そこに人間とは比較を絶する力の働きを見る。同様に台風や津波や川の氾濫に立ち合った者が、そこに巨大な力の現れを見る。実質を理解できないその力を仮りに「」と呼んだとしても、そのこと自体は非合理でもなんでもないだろう。

 「引力」の概念は現在でも有効な概念であるが、それを目で見た者は誰もいない。目で見た者がいないにもかかわらず、その存在を誰も否定はしない。目には見えないけれど、そういうものが確かに存在すると考えた方がいろいろ都合がいいわけだ。
 「引力」というのはただの名称に過ぎないから、そう呼ぶかわりにそれを「」と呼んでもべつに不都合はない。あらゆる文献における「引力」という言葉を「」に置換すればいいだけで、そのことによって現在の知の体系が崩壊することもない。
 大昔の人類が「」を発明したときも、もともとこれと大きな違いはなかったと私は思う。

 ただ、人間の思考にはある種の独特な癖があって、現象の継起に「因果関係」を見たがり、あらゆる事象を「擬人化」のフィルターをとおして見たがる傾向がある。
 そこから間違いが始まる。
(もちろん、人類が「因果関係」と「擬人化」の志向を持っていなかったとしたら、とっくに絶滅していたに違いない。草木がカサコソいうのは、なにものかがカサコソさせたからだと考えなかったら、危険の察知もできなければ、狩猟の機会を捉えることもできなかっただろうから)

 作用だけがあって、その作用の源泉たる動作者が存在しないというのは、考えづらいことである。だから、落雷はおのずから「起きる」のではなく、なにものかが「起こす」と想定しても別に不自然ではない。名称はさておいて、原初人類は「神」という動作者を考え出したわけだ。

 その後、お願いしたり、なだめすかしたりなど、神と取り引きを行う試みが始まることになる。牛やら羊やらを供物として神に提供して、その代わりに自分たちの望みを聞いてもらおうとする。
 そして、本当はなんの関係もないのだけれど、この前効果があったのに今回だめだったのは、羊の年齢がこの前とは違っていた、それがいけなかったのに違いない――等々と勝手に「因果関係」を思いついては修正することを重ね、それが儀式として確立していく。
 以下、少々長い引用になるが、今から3千年以上前のヒッタイトの話をご紹介する。

 現在まで伝えられた古代中東の文献には、疫病に苦しみ、天に救いを求める叫び声が数多く残されている。中でも最も悲痛なのは、紀元前一四世紀のヒッタイト王ムルシリスの支配するハッティの地にいた一祭司が書き残したものである。
「この二〇年間、人々は死んで行く。余の父の時代、兄の時代、余が司祭となってからの余自身の時代、人々は死んで行く。余の心の苦しみ、余の魂の悩みに、余はこれ以上耐えることはできない」と司祭は呻吟している。
 病原微生物という目に見えぬ微細なものへの対策を目に見えぬ無限の高みに求めて、彼はあらゆる神々の神殿で祈りを捧げるが、なんの効き目もない。悪疫が最初現われたとき、何か新奇で異常なことが行われたのではないかと考え、綿密に調べた結果、そのころ司祭たちがマラ河の神に捧げものをするのを怠っていたことをつきとめた彼は、ただちにしかるべき償いをする。だが悪疫は続いた。
 彼の父の時代、エジプトとの戦争に際してヒッタイト人は嵐の神にひとつの誓いを立てた。この戦争は明らかにヒッタイトの勝ちだったが、彼らはその誓いを守らなかった。勝利者が進軍したとき、捕虜は後方ハッティの地に送られた。つまり、病気がはびこっている異国の人口稠密な地域から、人口がもっと希薄でコスモポリタン性も薄い疾病環境に、である。栄養が悪く、疲労し、働かされ過ぎていたにちがいない捕虜の間に新しい病気が発生し、主人たちへと広がっていった。そして「この日以後、ハッティの地では人々が死に続けている」。この司祭は嵐の神に二〇回もくり返して償いの祭儀を行ったが、悪疫は続いた。
 今はもう、ただひたすら祈る以外にはなかった。この司祭は神々に対し、このような御業は神々御自身の利益にも背くことをおずおずと指摘している。
 ハッティの地すべては死に絶えつつあります。神々よ、あなた方に捧げるパンとお神酒(みき)を準備する者はもう居ません。神の畑を耕した耕夫たちは死に、もはや神の畑で働き、収穫する者はおりませぬ。お供えのパンを作った粉ひき女たちは死にました。もはやお供えのパンを作る者はおりません。かつてはいかなる牧舎、羊小屋からでも犠牲に供すべき牛や羊を選ぶことができました。牛飼いも 羊飼いも死に、牧舎も羊小屋も空(から)になりました。お供えのお神酒も家畜のいけにえも終わりになりました。人は分別を失い、なすべきことは何もできません。神々よ、人に罪ありとみそなわされるならば、予言者を立たせそれを知らしめて下さい。さもなくば巫女や司祭にそれを教えて下さい。さもなくば夢のお告げでお教えください。  おお神よ、ハッティの地にあわれみをたれ給え。
 『ヨーロッパ帝国主義の謎』 1998年4月24日 岩波書店刊 40~42ページ
      アルフレッド・W.クロスビー 著  佐々木昭夫 訳

 このヒッタイトの司祭は「神はなぜ沈黙されているのだろうか」と考えたに違いない。
 科学技術の発達した21世紀の現在でも、同じような思考回路を示す人間たちが存在する。そのため「神の沈黙」を主題とした小説が何か深遠なテーマを扱った作品として取り上げられたりもする。
 いまどき、疫病を神の怒りによるものと考える現代人はいないだろう。なぜかと言えば、疫病が蔓延するメカニズムが現在では理解されているからだ。
 上の引用を読んだ人は思うかもしれない。疫病は病原菌が原因で起きているのだから、それに応じた対応を取らない限り猖獗がやむことはないだろう。それは沈黙しているのでもなんでもなくて、司祭が見当違いな対応をしているだけ。いくら祈ったって無駄に決まっているじゃないか、と。

 今日の人間からすると、ヒッタイトの司祭は、電信柱に頭を下げて何か訴えているような憐れな滑稽さを呈している。しかし日曜日ごとに教会に出かけたり、毎日5回も礼拝したり(50回よりは少ないけれど)することのどこがヒッタイト司祭と違うのか、私には分からないのである。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 53

Trending Articles